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萩原智子  12年ぶりの五輪ならず

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ロンドン五輪日本代表選考会を兼ねた
第88回日本選手権水泳競技大会競泳競技は
4月8日、東京・辰己国際水泳場で最終日のレースを行いました。

女子50m自由形 決勝 
萩原智子(はぎわら ともこ)は準決勝3位で、決勝レースに挑みました。
萩原は直立不動の姿勢で目を閉じ、静かに息を吸い呼吸を整えました。

萩原は、名前を告げられると両手を大きく上げて入場。
前半は派遣標準を切るスピードでしたが、後半伸びず、25秒67の5位。

全レースが終了した直後に
ロンドンオリンピック競泳日本代表内定式がプールサイドで行われました。
ジャパンのトレーニングウエアに着替えた
男子13人・女子14人の27人の代表選手が晴れやかな顔で集合しました。

萩原選手は
今の100パーセントは出せたと思います。
タイムのことは置いといて、この1週間は今までの試合の中で一番充実していたし
気持ち的にも緊張感を満喫して濃密でした。

去年いろいろ経験して、今思うのはあきらめないで、最後まで続けてきてよかった。
後輩たちが迷ったら、どんと背中を押してあげたい。

所属である山梨学院の関係者には、自衛隊体育学校への出稽古など、
私のワガママを聞き入れて頂きました。
もう一度、チャレンジ出来たことに幸せを感じます。

この1年、しっかり水泳と向き合って分かったこと!
やっぱり私は、水泳が大好き!だと言うこと。
レース後は、まだまだ泳ぎたいなぁ~と思っていました(笑)

旦那さんからは、「ママになってから、泳ぎたかったら、泳ぎなよ!」って。
まずは、病気のこともありますが、ママになれるように努力します。

「アマチュア」に引退はありません!
だから私は、引退するつもりもないし、大好きな水泳を続けていく予定。
「いい加減、しつこい!」と怒られるかもしれませんね(笑)

萩原 智子(はぎわら ともこ)
1980年4月13日 31歳
大阪府生まれ、山梨県育ち。
身長180.6cm

2000年9月のシドニー五輪は、200m背泳ぎで
日本代表の中尾美樹と3位を争ったが、タッチの差で惜しくも敗れて4位入賞。
200m個人メドレーでは日本女子のトップながらも8位入賞。

2002年8月に横浜市で開かれたパンパシフィック水泳で
200m個人メドレーでは金メダルを獲得。
だが日本選手権優勝多数により、多くの種目にエントリーした強行日程により
大会中過呼吸を3度も発症し、緊急入院する事態となります。

2004年、アテネオリンピック出場を目指して、この年の日本選手権では
50m自由形では優勝しながらも派遣標準記録の25秒30にわずか0.32秒足りず
また100m自由形も派遣記録に届かず2位となり、2大会連続の五輪代表を逃しました。
この年、現役引退を表明。

2009年6月、競泳選手として5年ぶりに現役復帰することを表明。

2010年10月に東京辰巳国際水泳場で行われたFINA競泳ワールドカップ2010東京で
50メートル自由形(短水路)で24秒91を記録
1998年に源純夏がマークした日本記録を12年振りに更新し、6位に入賞。
100メートル個人メドレーでは59秒94を出し、日本記録を更新して金メダルを獲得。







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